感謝!単3電池から単1電池を作る方法2011/03/20 13:50

震災時のバタバタ、アタフタぶりを少しずつ思い起こして書き残したいと思います。

地震直後、盛岡の街も大停電に見舞われました。崩れかけた仕事場から退避し、帰宅指示が出て家に帰ろうとしてやっとそのことに気がつきました。信号が消えている! のろのろと進む車の列につながりながら、やっと家にたどり着いた頃にはもう夕暮れ。
電気が無いことの不自由さを感じながら、とにかく薄暗い中、家中に散乱したモノをかき集め、とりあえずゴミ用の大きなポリ袋に入れて通路と居場所を確保。
懐中電灯を探しあてるも、電池が切れているではありませんか…。
確か阪神淡路大震災の頃に買った大きめのサーチライト。こんな時につかないなんて、なんという不覚。
その時、主婦(一応)はひらめきます。給油用ポンプに同じサイズの単1電池が入っていたはず! 薄暗い中、ごそごそと手探りで電池を取り出し、どうにか懐中電灯が光りました。ああ、良かった…。
しかし、一晩中点けておくのは不安。いつこの電池の寿命が来ないとも限らないのです。
ゴソゴソと何かを探していた夫が、ロウソクを持って来ました。カラフルなケーキ用のロウソクを……。
神棚も仏壇も無い我が家、ロウソクなんて、これくらいしか無いのです。子供たちの誕生日やクリスマスのケーキ用のロウソク。実際に使用した物は処分していましたが、ホームメイド用に買っていたものや、付いてきたけど未使用だったものが結構ありました。貧乏性なんですよねぇ。
断捨離の本をじっくり読んだはずなのに、捨てられなかった優柔不断さがこんな時に幸いするなんて思いもよらず。
「いつかなんて来ない」という片付けの呪文。まさかその「いつか」がやって来たなんて!あんまり喜べたことじゃないけどね。
短いロウソクはどんどん燃え尽きて何度もマッチを擦りましたが、その夜はとても心強い炎としてお世話になりました。
次の日は、押し入れの奥深く仕舞い込んでいた反射式石油ストーブを引っ張り出し、灯りと暖を取れて一安心。

地震翌日から被害の少なかった店は営業していましたが、電池やロウソクは完売状態。家中かき集めた電池は、単2が2本と時計やゲーム機から外した単3が数本。そして地震直後長男がコンビニに走って買って来た単4(なぜか単4。私がそう言ったというのだが記憶なし)8本。
強い余震が続く中、いつまた停電?という不安もつきまといます。
さらに、主婦(一応)の私はキッチンの湯沸かし器と、ガスコンロにも単1電池を使用していることを知ってはいましたが、どちらもそろそろヤバいかも…切れるかも、という。家族には言えない秘密を抱えていたのです。
氷点下の地で、湯沸かし器が使えないのは悲しい。なぜか被災直後からも使えた唯一のライフライン、ガスも実は電池が無ければお手上げですよ……。
いつだったか、雑誌の百均特集で単3電池を単1電池として使えるホルダーのようなものがあったことを思い出してみても、今この状況では入手は不可能。
そうだ、ネットに何かそんなアイデアがあるのではないだろうか? 
地震で頬に大きな傷を負ってハクがついた愛Macルビーも、起動には問題無かったのも有り難く、電気があってこその頼もしさを痛感しながら検索しました。
そしてたどり着いたのが、「何も足さない、何も引かない」というブログの「単3電池から単1電池を作る方法」というページです。
どうやら太ささえクリア出来れば、単1電池の代用品は意外と簡単に作れそう!
喜んでプリントアウトし、プラモ作りが天才的な次男に作業を依頼したのですが、興味なさそうに「かーさん作れば」だって。
自慢じゃないけど超ド級のメガトン不器用な母は「こんな子供になってしまったのは自分の育て方が悪いんだよね」とジト目で懇願してみたけれど、結局、自分で作ることにしました。
あーだこーだやってる間に、ついに湯沸かし器の電池が切れたのです。出るのは身を切るような冷たい水…。それはもう、ゴム手袋も凍りそうなほどに。
ハッキリ言って、簡単です。私にも作れました。ぜひ皆さんにもお伝えしたいと、リンクも貼らせていただきました。
こんな非常時、買い占めではなく、我が家のように電池を切望している人も大勢いることと思います。
本当にありがとうございました!

被災地としての盛岡2011/03/19 12:58

私の住む盛岡市は岩手県でも内陸で、津波の被害はありません。
古い建物には損壊も見られますが(仕事先は入口屋根が崩落、天井が落ち、柱にヒビが…)、電気も水道も復旧し、どうにか暮らせています。

ご報告が遅れましたが、モスラもルギアも元気です。
ケージを頑丈なスチールラックの下段に置いていたことが幸いし、家中の物がぶちまかれた中、鳥たちのケージは倒れることもなく、無事でした。

オールバード誌には書きましたが、オカメインコのカックは昨年夏、天に召されました。一番恐がりだったカックが、今回の地震に遭わずにすんだことは良かったな、なんて思っています。
カックのケージはルギアの上にあったので、もしかしたら倒れたり、揺れが激しくて恐い思いをしていたかも。
もしかして、カックが2羽を守ってくれたのかも知れません。

問題は、ガソリンと灯油が無いこと。
震災直後からガソリンスタンドや灯油販売所は閉ざされ、購入のしようがありません。
輸送路が断たれているので仕方のないことですが、首都圏と違って、こちらの地域ではマイカーが生活の大部分を占めています。
さらに、毎年梅雨時までは灯油を使うヒーターが活躍する、寒さの厳しいところです。ちょっと前までは、クーラーがいらなかったくらい、夏でも涼しい…そんな場所でした。
ガソリンと灯油は北国生活の必需品。ガソリンは車を降り、歩いたり自転車でどうにかなります。でも、灯油は本当に死活問題!
幸い電気は制限されていないので、我が家の場合、ホットカーペットに毛布とコートで暖を取っています。
関東地方や南東北の皆さんが計画停電で大変なときに、本当に申し訳ない気持ちではありますが、電気使わせてもらってます。
まだ最低気温が氷点下。給水車のホースも凍りついたというニュースもありました。被災地である沿岸地域は、岩手県の中でも一番温暖な場所だというのに……。
私の仕事先も、燃料確保のためにヒーターはオフです。みんな防寒着に身を包んでパソコンを操作しています。ホットコーヒーがあっという間にアイスコーヒー、悲しいです。
でも被災地で避難生活をしている皆さんは、もっとずっと辛い思いをしているのだと考えれば、自宅があってこうやって暮らしているって、それだけでどんなに幸せなことでしょう。
一人でも多くの方が、安全な暮らしに戻れますように。

夫の会社では、エアコンに切り替えたのだということを聞き、そういえば我が家にもエアコンなるものがあったということを思い出しました。
まだ猛暑や温暖化が深刻になる前に、超汗っかきの夫と次男のために設置したエアコン。
当時はまだ珍しく、電力会社にアンペア変更を頼んだら「この団地では2軒目です」と言われたのを思い出します。
外気を取り入れて暖房するエアコン、北国には不向きな暖房器具なため、夏しか出番はありません。
恐る恐るスイッチを入れてみると、ゴォオーーンと動きだしました(当然なんだけど)。
そしてほのかに、やわらかい空気が流れて来ます。あ、あったかい!!
石油ファンヒーターよりも非力ではあるけれど、ほんわかと幸せな温度が伝わってきます。
我が家のエアコンがどれだけ電気を使用するのか、調べてみようとは思いますが、とりあえず使わせていただいてます。
本当にほんとうに、電気を使うのは気が引けるのですが……。
こうやって暮らせるのも、全国の皆さんのおかげだと思っています。

元気です! 命あることを喜ぼう!!2011/03/18 13:16

本当に久しぶりに、卯的生活ブログ版を復活します。
私の住む岩手県は、3月11日に東北関東大震災に見舞われました。
混乱した状況の中、しばらくは携帯はもちろん、電気も水も無い状況に放り出されました。
家族が無事だったこと、暮らしていける家があることを心から幸せに思います。
沢山の人からご心配をいただき、とてもとても、心強いパワーをいただきました。

私の生活も変わり、仕事に流されて無我夢中でいた間に色々なものが見えなくなってしまっていたことに、やっと気がつきました。
今回の地震ですべてがリセットされ、本当に大切なものだけが残った、埋もれたものが見えるようになってきたように感じます。

大震災から1週間、私の体験したこと、思ったことを綴っていきたいと思います。
もちろん『卯的』に 、本音でズバッといきます!
よろしくお願いいたします。

こちらの内容は『卯的生活復活版』でも公開中です。
http://unouteki.blogspot.com/